>>4 吉幾三がヒット曲『俺ら東京さ行ぐだ』を歌ったのは1984年のこと。
この歌は「俺らの村」に文明の利器やライフライン、社会的インフラがないことを自虐的に羅列し、こんな村いやだ、東京に出る、と歌い上げる。
この歌で「村にない」とされたのはテレビ、ラジオ、カラオケの機械などの電気製品や喫茶店、薬屋、映画館、ディスコなどの商業施設。
「たまに来る」とされているのは「バス」と「紙芝居」である。何しろ新聞も配達されず、電話も電気も通じていないのだ。
さすがに1984年の時点でも、よほどの山間か離島でもない限り、こんな田舎は存在しなかった。
そのため、吉の故郷である青森県北津軽郡金木町(現・五所川原市)をはじめとする全国の農村からは抗議が殺到したという。
さて、それから30年以上の年月が過ぎた。
ガスや電気などのライフラインは当時よりもずっと整備され、ネットや通信機器の発達で、テレビやラジオ、新聞がなくても、いくらでも情報は手に入る。
地方交通網の衰退、買い物難民、限界集落などの問題はあるけれど、都会と田舎の間の生活格差はかなり縮まっている。
ただ、吉幾三が「ない」と歌っているのは目に見える「モノ」に限られ、阿部幸大氏が述べている「文化と教育」ではない。
1984年にも都市と地方で「文化と教育の格差」は存在したはずなのだが。
当時は「モノ」のほうにばかり関心が集中し、「文化と教育」にまで気がまわらなかったせいかもしれない。
今だったら「大学ねえ、短大ねえ、専門学校見たことねえ」「コンサートねえ、ライブもねえ、来るのは無名の演歌歌手」などと自虐的に歌っているはずである。
田舎から東大入って絶望した彼に北海道の単科大学教授が伝えたいこと
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